日本酒は個性鮮やかな独創の地酒 美作の国の酒
最高級の日本酒を「美酒の国」から
ここ旧美作の国 ( みまさかのくに、作州 ) は、一説に「美酒 ( みまさけ ) の国」転じて美作の国となったと言われております。
岡山県は、特に戦後の長きに渡り、全国でも兵庫県の次に酒蔵が多いと言われ、酒づくりの為に必要な、米、気候、技術者と、すべてが自給できる、恵まれすぎた条件がそろっています。
奇しくも2013年は、当地の旧国名が「美酒の国」に由来する「美作の国」が、建国1300年に当たります。最高級の日本酒を再び「美酒の国」からお届けできればと考えます。
「食の安全が問われる今だからこそ」
弊社では、和心を含めすべての酒造用原料米を、2012年より、すべて、岡山県産米のみでの仕込みに限定、最後の1粒まで岡山米にこだわりぬきました。毎日飲むものだから、産地、素性の分かったものに限定し、安心・安全の酒をお届けしたいと考えます。
「高級酒米の産地だからこそ」
すべての酒米の先祖は「雄町」と言われるわけ・・・山田錦の親は短稈渡船・・・渡船は滋賀県で分離されたとき、各県から取り寄せた種籾のうちラベルが剥がれたものをそう命名したのだとか・・・それは、福岡県産の雄町であったと言われています。ということは山田錦も雄町の孫であると言うことになります。
岡山県には「雄町」「山田錦」と高級な酒米しかないと言われます。他県の技術者からは、岡山県には、中級品が無いから大変ですねえとも言われます。 2000年以降、全国の農林試験場で数多くの酒米がつくられ定着してきました。岡山県では、新規の開発はされませんでした。和心では、最高級品種の酒米しかない岡山だからこそ。地元高級米で高級をこだわり抜きたいと思います。
酒米の一大産地岡山は、兵庫・広島と続く一大「酒米地帯」であり、半径150キロ余りの半円内に有名酒米産地の多くをかかえ、この「酒米地帯」から日本の品評会用の酒米の多くを産出します。その中心、美酒の国、旧美作の国にて岡山の米にひたすらこだわって酒づくりに取り組んでいきます。
代々の備中杜氏が残した、蔵独自の備中流の技の伝承・・・・・・無形文化の伝承も私たちの仕事です。 一時は、大陸へ、樺太へと興隆を極め、隆盛期には、蔵人を含め2000人とも言われた備中杜氏ですが、年間雇用者や経営者や経営者一族による製造責任者を除いて2010年、とうとう本来の意味での純粋な冬季のみの「出稼ぎの備中杜氏(とうじ)」は1人もいなくなってしまいました。代々の備中杜氏から伝えられた、酒蔵独自の伝統技を継承。伝統文化の正統な伝達者でありたいと考えています。
全国的に有名な酒造地帯、「灘を有する兵庫県」と「西条をはじめとする広島県」の間にあって、近年は、銘醸地としては鳴かず飛ばずの岡山の地ですが、かつて岡山は、明治40年の第一回の清酒品評会で、上位5社の優等賞に岡山の「三角正宗」が食い込むなど、備中杜氏の技術は、全国的に卓越したものでした。
備中杜氏は、一時は、大陸へ、樺太へと興隆を極め、隆盛期には、蔵人を含め2000人とも言われました。ところが、半農、半漁、の工業後進地域だった、備中地方に水島コンビナートが生まれ、出稼ぎをする人がどんどん減り、数年前、とうとう本来の純粋な出稼ぎの備中杜氏は1人もいなくなってしまいました。弊社では、歴代の備中杜氏によって育まれた、蔵独自の継承の技術をもとに、現在は、全職員の参加による「和」の酒造りが、新しい美禄へとつながっています。
厳しい風・・・大地の息吹、土の蔵 どこででもつくれる酒ならば地酒の意味がありません。天然、自然にこだわり、津山盆地の温暖の差に人の知恵が加わる・・・和心を鍛える風は厳しい。冬・厳寒期の最低気温は-5〜-7度をも記録、夏の寒暖差も激しい。この厳しい風が和心を鍛え育てる。冬の冷え込みが醪を適度に冷やし、低温長期の経過が穏やかな酒を生みます。
美酒の国(旧美作の国)の一宮、中山神社の門前にて神様の領域から流れ出る宮川の伏流水、江戸時代から休むことなく懇々と伏流水を湧出する石組みの大井戸。穏やかでやさしい水は、やさしい醪を育みます。この門前は、かつては酒屋、酒屋、醤油屋と軒を連ねた名水地帯であり、今も途切れることなく湧きつづけています・・・これぞ神様の恵みではないのでしょうか。